今回のキーワードは、一言で言うと外の取り合い。私は現役時代サウスポーだったのでサウスポーの心理から書くと、まず本当に相手の外を取りたいんです。外を取れれば左ストレートも当たるようになるし、左ミドルも当たるようになります、さらに返しのフックも相手の見えないところから打てるようになります。ではそのためにどうするかというと、外を取れない時は右のジャブが少しだけ入りやすいので右のジャブをリードに左ミドルを当てながら相手が外を取りに行くのを止めに行きます。ただこれはあくまでも出足を止めるためにやる事であって、最終的には外を取っての左ストレートや左ミドルを当てる事が一番の目的です。もう一つ大事な目的としては相手の右腕もミドルで壊れてくれればいいな、それと左ミドルに釣られてくれてどこかで左ハイを入れられればいいな、そんな感じです。ここで今回のキーとなったのは、その最初の外を取れない時に普通はどうするかと言う事です。普通は先ほど言ったように、リードジャブで牽制します。外取るならジャブ入れるよ、と相手にメッセージを送るわけです。それと左ミドルもどんどん打っていきます。出来るだけ早く相手の右腕を殺したいのと出足を止めたいからです。この二つをメインに大事な局面で外を取って自分の強い攻撃を当てる、この流れです。
ただしこの際いくつかされたら嫌なことがあります。外を取られる事は当然として、自分の左ミドルに右ジャブで合わせられることです。外を取れていない状態で左ミドルを打つとジャブを入れられやすくなるんです。ただそれでも普通のサウスポーの選手はジャブをある程度もらう事は予め覚悟した上で左ミドルを入れにいきます。
ですが那須川選手はそれをしません。危ない時に無理をして左ミドルを入れに行くような事をしなくても、パンチの技術や天性のスピードで外を取れてしまうんです。そして安全圏から自分の攻撃を当てる。外を取れていない時でもジャブやその他の攻撃で有利に立てる技術があります。サウスポーでこの領域に行けたのは2000年代に入ってからは全盛期のペトロシアンくらいしか思いつきません。同じ日本人のサウスポーである天才ファイターの久保優太選手でもここまでのレベルには達していませんでした。
翻って武尊選手の対策は、以前記事にした対サウスポーのやり方そのままのはずでした。ジャブをもらいながらでも右ミドルで押していって展開を作る。実際に最初の入りを見るとその動きが見られます。ただすぐにその作戦は捨ててましたね。どんな世界が見えているかは私のような凡人には分かりませんが、右ミドルや左ジャブで崩す一般的な作戦では勝てないと判断したのでしょう。恐らくですが、那須川選手のジャブが予想よりも強かったんじゃないでしょうか。または単純な外の取り合いでは勝てないと判断したのか。
個人的にはこの武尊の右ミドル、那須川選手の右ジャブ、その攻防の中からどちらが外を取るかで勝敗は決まってくるのかなというのが事前の私の予想でした。那須川ロッタン戦の様な流れです。
実際の展開はそうはならずにそこからは今まで武尊選手が培って来た必勝スタイルで圧力をかけていく作戦に切り替えていましたね。ただしこれもはっきり言って通用しませんでした。驚いたのは武尊選手がよく使う後ろ足のステップが見えていた事です。最初の一歩を後ろ足から出すというのはムエタイではよく見られますし、日本人でもトップレベルの選手は使っています。ただ普通は見えないんです。視覚的に遠いのと体の動きに遮られて相手は詰められている事に気がつかない。だからこそ有効なんですが、那須川選手は武尊選手が後ろ足から詰めた段階で反応して距離を取っていました。以前那須川選手と武居選手の共通点として驚異的な視野の広さに触れましたが、那須川選手のそれは奥行きにまで及んでいました。面ではなく空間で相手を見ているんです。推測になりますがムエタイの選手は腹筋周りの筋肉の動きで相手の動きを事前に察して対応すると言いますが、那須川選手もおそらくそれに似た事が出来るんでしょう。相手の予備動作を手足や目線だけではなく体全体で捕える事が出来てるんだと思います。
そうして武尊選手はもう一つの得意な技を使って距離を詰めようとしました。それは瞬間的なスイッチです。今回はそれを前蹴りでやりました。右の前蹴りを起点に一瞬スイッチして一気に距離を詰めて得意の暴風雨のようなコンビネーションを仕掛けたところで、なんと那須川選手はカウンターを合わせて来たのです。これも以前の記事で武尊の弱点として書きましたが、この瞬間に合わせられるだけの選手はいないだろうと思っていたし、実際今まではいなかったんです。むしろ今まではその瞬間手を出してきた選手にカウンターを入れてKOというのが武尊選手のスタイルでした。ですが那須川選手はそれをやりました。1R終盤のあのダウンです。あれは普通ならあそこで終わってます。立てないです。ベストのタイミングでした。ただ武尊選手は立ってきましたね。それも当然凄いんですが、もっと凄いのはその完璧なタイミングを捕らえたにも関わらず、那須川選手はすぐに後ろを向いて気持ちを立て直していました。
試合後のインタビューで那須川選手が語っていました。最初のウルトラマンのポーズは3分で試合を終わらせると言うメッセージだったと。実際に1R終了間際にこれ以上ないタイミングでウイニングショットを入れたにも関わらず、予定通りに3分で終わらせる展開を作ったにも関わらず、すぐに後ろを向いて武尊選手が立ち上がってくる事に気持ちを備えたのです。これは常人には到底無理な事です。私が一番恐ろしいと感じたのはこの瞬間です。
長くなったので次回に持ち越します。